My Journey to be a Jeweler

NY・ロンドン・アントワープ、ジュエリー留学と移住の記録

就活で「なぜジュエリーを選んだか」という質問に答えるための思考回路を晒す②

昨日の続きです!

美しいものの中でもジュエリーがいい理由

昨日までで

「美しいもので人の気持ちを上向かせる仕事がしたい」

というところまでたどり着いたんですけど

 

美しいものがたくさんある中でなんでジュエリーなの?

 

というのもまた長い話になります。笑

noteに書いたこととちょっと被っちゃうのですが・・・

より赤裸々にエモーショナルにいきたいと思います。

 

ジュエリーの力を知ったのは

母と祖母のおかげでした。

 

19歳の時に母が亡くなって

半ばヤケクソで遺品の整理をやったんです。

 

気に入ってた首元伸びたトレーナーも

ケチケチつけてた手書きの家計簿も

思い出は尽きないけれど

あったってどうにもなんないんですよ。

悲しくなるだけ。

 

若かったこともあってすごい勢いで

思い出を振り払うように

遺品を捨てたのを覚えています。

 

でも、ジュエリーだけは

とっておけたんですよね。

「思い出があるから」という感情的な理由じゃない、

「金銭的価値」「場所を取らない」という

論理的な理由があった。

 

ジュエリーって唯一子供に残せるんや

買っておいて損はないもんやな

と大阪人根性で思ったことを覚えています。

 

でもその時はジュエリーに対して人並みにしか興味がなく

(というかアクセサリーでしたね、

当時興味あったのは。子供だったんで。)

デザインがバブリーでつけられないからと

実家のクローゼットに置きっぱなしでした。

 

数年後、今度は母方の祖母が亡くなりました。

 

昔の人だったんで、

形見分けできるようなものが

5つのダイヤモンドがついた

婚約指輪くらいしかなかったんです。

 

最後まで祖母の面倒を見てくれた叔母が

それを私にくれたんですが、なんだか申し訳なくて。

 

考えて、そうだ、

ダイヤを指輪から外して妹と3人で分けよう、

ダイヤそのものだと使い道ないから

今までのお礼の気持ちも込めて

ペンダントトップにして叔母にプレゼントしようと

生まれて初めてオーダーメイドでジュエリーを作ったんです。

 

その指輪、もらった時は、

地金は傷だらけだし、

石の周りに埃も溜まってるしで

正直あまり期待してなかったんです。

まぁうちのばーちゃんが持ってるもんだしなーなんて。

 

でも仕上がったモノを見て驚いた。

本当にキラキラしてて。

 

同じ素材を使っているはずなのに

生まれ変わってる。

ジュエリーの半永久性に心打たれたのはこの瞬間でした。

 

そのキラキラを見ていると

おじいちゃんからこんなキラキラしたものもらって

おばあちゃん、絶対ときめいただろうなって

おばあちゃんの人生そのものまでも輝いて見えました。

 

ジュエリーやばい!ってなって

 

タンスに眠っていた

母のジュエリーを引っ張り出してきて

 

母のリングのゴールドと

祖母のダイヤを合わせて

自分のためにピンキーリングをオーダーしたんです。

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これが仕上がった時も本当に本当に感動しました!

おばあちゃんの婚約指輪、

写真撮っとけばよかったな

もう本家ビフォーアフターもびっくりの

生まれ変わりようなんで!

 

嬉しくてずっとつけていると、不思議と

2人が守ってくれているように思えてきて

海外に行くこととかあんまり怖くなくなったんですよ。

根拠はないけれど調子にさえ乗らなければ

危ない目に合わない自信が未だにあります。

 

そして、この指輪をつけて

旅先で綺麗な景色を見ると

2人にも見せてあげられたような気がした。

 

行きたいところにしか行けない、

やりたいことしかやれない、

ろくに墓参りもしない、

長女としての責任を全く果たしていない自分、

そんな私で後ろめたい気持ちがずっとあったけれど

 

これを身につけることで、

自分のしたいことを叶えて行く姿を

亡くなった人たちに見せてあげることが

一番の孝行であると、

私の自分勝手な生き様を自分で肯定できたんです。

 

ジュエリーの携帯性。

言ってしまえばそれまでなんですけど、

弱い人間にとって

自分を支えてくれるものをずっと身につけていられるって

生きる上でとても支えになるんですよね。

 

美しくて、常時、半永久的に、身につけられる。

それはジュエリーしかないんです。

 

仕事として選ぶ上でもう1つ大事なことがある

今まではずっとジュエリーの大義の話をしてきました。

 

でも、仕事にするかどうか、という点で考えると

もう一つ検討しなければならないことがあります。

 

それは日々実際やる作業が好きかどうか。

 

どんなにジュエリーの存在意義に共感していても

毎日の作業が辛かったら、

それは仕事にはできないのです。

 

私が最初の仕事である「広告」を選んだときに

抜け落ちていたのがこの視点でした。

広告というアウトプットが好きでも

それを作る作業が好きかどうかは全く別の話だということを

学生の私は気づいていませんでした。

 

とはいえ、おまけ制作の作業が嫌いだったわけではなくて

むしろ総じて愛していたのですが、

中にたった一つだけ、今だから言える

どうしても苦痛な作業がありました。

 

それは「面白いもの」もつくらなきゃいけないこと。

 

広告って、感動系やおしゃれ系もありますが

結構ダジャレ的なおもしろいもの求められるんですよ。

ヴィレバンで便器のお皿とかあるじゃないですか?

あーいうテンションのものです。

 

私、これが結構辛くて。笑

とにかくセンスがないし、

モノとしていいとも思えなかった。

でも、おまけプロデューサーとしてトップを目指すには

こういう案件にも対応していかなきゃいけない。

これも、私が広告でこの先やっていくことに

限界を感じた理由のひとつだったりするんです。

 

それでいうと、ジュエリーは実際やってみて

ヤスリで金属をまっすぐ削る

ロウを溶かし流す

ヤットコで曲げる

そんな些細な作業すべてがとても好きだった。

 

ニューヨークで学校に行っている間、

次の仕事としてジュエリーを選んで本当に大丈夫か、

毎日毎日やり続けられるか、

裏付けを取るように作り続けました。

石を買ったり、デザイン画を描いたり。

いろんな作業も実際やってみました。

 

嬉しいことに全部好きだった。

むしろ、ジュエリーならば

企画、デザイン、石の価格交渉まで

広告時代から好きだった作業が

引き続き全部やれるとさえ思いました。

 

 

色々ジュエリーのことを調べていて

嬉しい発見がありました。

実は建築家とジュエリーって相性が良くて

元建築家の方や

有名どころだと国立競技場の初期のデザインをしたザハさんも

ジュエリーのデザインやっていたりするんです。

(確か安藤忠雄さんもやってた気がするんだけど

 ググっても出てこないから一旦控えます・・・)

 

機能性とデザイン性の両立、

かつ立体というところが

建築とデザインで共通しているのかなと思うのですが

 

なんと私の家系も代々、建築系なんですよ。

金属を綺麗に削るのが

なんでこんなに気持ちいいのか謎だったんですが

もう家系だって。

遺伝子レベルでジュエリーにあってるんだって

自信が湧きました。

 

もうジュエリーが、運命のひととしか、思えないんです。

 

合計5,000文字超の回答をパワポ1枚にまとめるという苦行

 

とっても長くなりましたが

これが「なんでジュエリーなの?」の

私の誠実な答えです。

 

あーもう思いの丈を全部吐き出して

今とーーーーーーってもスッキリ!!

 

 

 

 

 

これをパワポ1枚にまとめろ、と。

しかも雇い主目線で刺さるように、と。

 

 

苦行やわ、もはや。

コピーライターにお願いしたいわ。

 

就活用と割り切ってやっちゃえばいいんですけど

こと自分のことに関しては

演技力なくて嘘つけないんですよw

(守るものあればできるけどね〜)

すっごい考えて自分で納得した答えを用意しないと

堂々と振舞えなくて。

 

どうなることやら。

頑張ります・・・。